いくらの醤油漬けと母と。

母が上京してきた。

 

「これは、洋梨。これはシャインマスカット、これはいくらね。これはひいおばあちゃんからの洋服だよー孫ちゃーん」

勢い良く、お店を広げるみたいに保冷バックから荷物を出していく。

ありがとう、といいながら冷凍庫に塩鮭だのホヤだのしまっていく。

自分の洋服を貰って、嬉しそうに触る息子氏。

 

ついでに、お願いしていた昔々のきょうの料理のレシピの紙も。

 

ハレの料理を作るのが、ストレス解消。私にとって、料理はある種の作業療法

その中でも、母が教えてくれて実家でお正月に出ていたボイルドビーフが食べるのも作るのも好きだ。

 ボイルドビーフは、塊の牛肉を多めのお湯でぐらぐら煮てにんにく醤油に漬け込む料理でローストビーフよりさっぱりして簡単だ。

いい牛肉を使うと、ローストビーフなんかに負けないご馳走だ。

小林カツ代さんのレシピで、正確なものが知りたかった。

それで、今回昔々のきょうの料理をコピーするよう母にお願いしていたのだ。

 

受け取りながら、別の日デパートに行く約束といくらの醤油漬けを教わる約束をした。

 

そして、後日。

少し落ち着いた駅で待ち合わせした。

遅れて着いたので、何度もスマホを鳴らしたけど母は音信不通。

きっと、近くの書店を見てるなぁと推理して行くと子供みたいに夢中に本や雑貨を見てた。

少女みたいな弾んだ声で、「このバックどう?2000円に見えないし、可愛いでしょ。」と訴えてくる。

いいと思う、素敵。と伝えるとウロウロとムーディーな薄暗い店内をレジを探すために歩く。

 

その後も、デパートで色々なハイブランドの服を大きい声で見定めながら物色する。

なぜ、値段の話をしてしまうの?と思うけれど。

本当に欲しいし、きらきらした都会的な雑貨も、服もすきなんだなぁと思って放っておく。

 

かぶかのツイードのジャケットにチカチカするようなダークな金木犀柄のブラウス。

そのシルエットに少し痩せたんだ、年をとったなぁと思う。

いつだって母は、派手でちぐはぐ。

そして、いつだって好きな物の前ではハイテンション。

  

「こうやってゆっくり上京するのも、しばらく出来ないかも。」

ランチをしながら、母は少し悲しそうに介護の話をしていく。

私も、仕事が始めるし生活が変わる話をしていく。

はしゃいでいた空気が、秋のしんみりしたものに変わっていく。

 

その後、いくらの醤油漬けを実演してくれる約束をしていたので私の家へ。

 

こうやって、45度くらいのお湯でほぐすの。そういって、母はボウルの中でいくらと薄皮を丁寧に素早くほぐしていく。

いくらは、いとも簡単に薄皮からするする取れていく。

 

「こんなに簡単だったんだね。」

「大丈夫、あなたならできる。」

 

二人で残りの細かい薄皮を除いて、わーわーいいながら醤油とみりんを煮きったものに漬け込む。

 

ありがとう、またね。

そう言って友達と待ち合わせしてると、るんるんで帰る母。

 

いつも、何か教わる時は平手が飛んでた。

罵声が飛んで、いつ怒られるかわからなくて何時も身体をかたくして緊張していた。

母だって、出来が悪かったりして焦ったり余裕がなかったりもしかして自分と比べたりしたのかもしれない。

 

許せないことも悲しいやり取り、たくさんたくさんあった。

 

それでも、ゆるゆると降りていく人生の中で今日みたいなやり取りや息子と楽しそうにしてること。

きっと、母は10年後くらいにはどんどん老け込むし私も老いていくけれどこんな平和な思い出が出来て良かったなぁと思う。

それは、「元気」で動いてる?気力を振り絞ってる?

夏前から、今まで。

ゆっくりペースで、仕事をするために身体と気持ちを整えたり鍛えてきた。

 

一度、いや何度か壊れていって気付いたけど「元気」でないと何も出来ない。

気力が無いときほど、魔法のような手段、Tipsにとらわれていく。

 

手始めに、中学生くらいから自己啓発本にハマった。

変な中学生だったので、父親の本棚の自己啓発書は片っ端から読み漁った。

今で言う、意識高い系中学生の完成だ。

 

大学生では、上京したので入る情報量がぐっと増えて益々のめり込んだ。

特に、勝間和代には夢中になって真似したり講演に行ってみた。

ストレングスファインダーをやった大学生なんて、その頃殆どいなくてタダの物好き。

あんな風に早く賢くなりたい、と空回りしていった。

 

その間、色々な自分の内面や健康の問題が絡んでいった。

たまに、故障をおこすロボットのようにベットから起き上がれない、緊張しすぎたり、眠りが浅い…不調が吹き出してた。

 

それでも、色々な本で語られるTipsや手帳やガジェットなどが自分を助けてくれると信じていた。

そうしたら、いい自分になるし、スムーズに書いたり話したり誰かに好かれると本気で思っていた。

 

今思えば、それを行うのは全て自分。

手を動かしていくのは自分。

書く、という行為ひとつとってみても自動化してるわけでなく脳で思考して手を動かしてペンやらパソコンで綴っていくのには身体が不可欠だ。

 

そこの身体性を無視して突き進んでいくには、限界がある。

 

ちょっと前、タスク管理をしているひとでからだを壊してるひとがいるというニュアンスのツイートを読んだ。

 

からだを壊したから、やってる事を減らしたりやり方を改善するためにタスク管理を導入するのはいいと思う。

私みたいに、リスト化していたりしないとすぐ混乱する人間には有り難い。

しかし、タスクを実行するのは人間なので実行する人が不健康だったり遂行出来ないことに並んだり必要以上にタスクを増やしたり抱え込むのは不健全だ。

 

健康になる、元気になるには面倒だしコストがかかる。

ただ、少しずつ続けて積み重ねていくとタスクの遂行がスムーズになるし自分の元気の基準がわかっていくと頑張りすぎなくなっていく。

 

ジムに通うのが大変なら、少し長く歩く

スマホは、ぐっとこらえて寝る前はやめてみる 

早寝早起き、たっぷり寝てみる

寝るために、しっかり湯船に入る

お風呂上がりストレッチしてみる

おにぎり1個から、サラダとゆで卵はつけてみる

出汁なんて面倒だから、かつお節にお湯かけて味噌入れて飲んでみる

カロリーもいいけど、食べる内容を変えていく

 

自分のために、色々やっていくと今度は自分のために先取りして休みをとれる。

休みをとると、心身ともに力がたまっていって動ける日が増えてくる。

動ける日が増えてくると、無理やり劇的なカンフル剤(自己啓発本もネットもカフェインも)から程よく距離がとれる。

そうなってくると、不調の前に休んだり詰め込み過ぎないでメリハリつけて動ける。

 

本当に少しずつだけど、地味だけど、食べて寝て動いて身体性を取り戻していくのが自分のしたいことを助けてくれる。

 

これから、もう少ししたら仕事を始めることになる。

動きたいとき、楽しみたい時、思いっきり出来るよう休んだり鍛えたり、食べたり寝たりを地味だけど重ねていく。

ここから歩き始める。

あんなに、外に出かけていたのに。

あんなに、内側にこもっていたのに。

 

新婚の頃は、寂しくて心細くて、でも知り合いはあまりいなくて。

暗い、寒いアパートの電気カーペットの上でぼんやりしていた。

どうしようもなくて、ごはんに海苔を巻いて沢山食べていた。 

なにか、これだと寂しいしいけないと思った。

旦那さんの職場近くのスポーツセンターでピラティスをして、終わったら講義が終わった旦那さんと学食を食べてた。

チキンソテー定食が私の定番。

そこそこお金があるときは、ふたりで手を繋いで、新大久保に。

まだ韓国料理がもてはやされていて、どこも活気があって美味しかった。

駅前のロシア料理もたまに行ってて、そこのつぼ焼きはどこより美味しくて温かくて気に入ってた。

 

仕事が決まって。

パート前に駆け足で、蕎麦を啜ることもあった。

あとは、アイコかアメリカンのホット。お金があるときは、昔ながらのかたいプリン。

それが私の定番で、たまにシチュー定食に半熟玉子落としたものをお店のひとが覚えててくれたこともあった。 

たまに、地下の牡蠣屋で牡蠣を啜った。

たまに、まかないのような形で珍しい魚ばかり食べて舌と目ばかり肥える。

旦那さんと生活時間がすれ違っていくから、少し寂しくて近所のバルでひとり飲み。

何でも美味しいお店で、アスティのスプマンテとかサングリア片手に旦那さんの帰りを待ってた。

 

そのうち、色々な人と知り合ってそれはそれは美味しいものばかり食べたし飲んだくれた。

色々な話をしたし、色々トウキョウというものの華やかさを教わった。

不思議な雰囲気の居酒屋やトルコ料理のお店。案外サラダが美味しいビアバーにカレーが上手い(あえて上手いなの)ビアバー。

とろけそうな焼肉に初めてパクチーを食べることが出来たタイ料理。

色々な人が誘ってくれたり、人数合わせになったり、自分から赴いたり。

他にもたくさんたくさんあったはず。

 

それでも、寂しさは消えない。

 

その合間に、渋谷の坂をせっせとのぼり日本酒にのめり込んでいく。

たまに、学生時代から知っていたオーセンティックなバーに行ってとろけたり冷や汗かいたりしたり。

福岡県出身の美しいバーテンダーの作る、季節のフルーツカクテルとダージリンクーラーがお気に入りだった。

 

住むところも仕事も変えていって。

美味しいドイツパンに蕎麦につけ麺。池波正太郎が好きだったらしい洋食。

仕事しながら、美味しいものをほうばっていく。

住みながら、驚くほどお値打ちな天ぷら屋や美味しい珈琲、面白い食べ方をさせる焼き鳥屋にもいった。

 

ときに、誰かと。ときに旦那さんと。

 

味わいつくして、妊娠した。

妊娠中は、色々気にしたわりにはお肉ばかりせっせと食べていた。

塊のお肉を妹と炙って分けたり、ジンギスカン食べたり、シュラスコかぶりつく。

家でも塊のお肉に塩をすりすり、焼いたり茹でたり漬けたり。

 

そして少しずつ、また心細くて寂しくなっていった。

 

その後、息子が出てきた。

言葉が通じないしコントロール不能の生き物とべったり2年間。

預かってくれるのは旦那さんくらいなので、ほぼ一緒。

行くところも限られる。

 

とはいえ、近所の肉屋さんのつくねをほうばり評判のドイツパンにかぶりつく息子と色々なところにも行ってきた。

雨の中、電車を見て。風の強い日に井の頭線で公園まで向かっておにぎりをひろげる。

 

ふと、家族の横顔をみる。

精神世界に生きてきて、苦しかったなぁ。

自分を題材にして苦しい難しいことを考えるのって、疲れる。

それで、イマを楽しめなかったのか。

 

いまは、家でお肉を焼いて食べたり外食ではさっと食べてしまう。

珈琲もアルコールもあまり摂取出来なくなった代わりに、運動するときに必要な栄養は取り始めた。

あとは、ママ友と集まるくらい。

ご馳走も、飲食店もはるか向こう。

 

それでも、家でさっとご飯を何品か作れる体力も気力もテクニックもついてきた。

楽しくしてると、家族も自然と食べてくれる。

でも、たまの外食も好き。江の島を眺めながらのランチも、近所のがさつな蕎麦屋も。

 

作ること、食べることが憑き物が落ちたように何周もまわって手元にきた。

そして、私の長い長い歩みも、もう健全な方向に向いている。

 

息子が入園してからようやく気付く。

小さい頃、ひとり遊びは好きだったけど家には誰かしらいた。

疲れると一人になりたいけど、家族がいたし過度なくらい寂しいと活動してきた。

 

いまは、ようやく「ひとり」を抱えていられるようになった。

村上春樹河合隼雄のいうところの、「井戸掘り」をしていった結果かもしれない。

漠然とした不安とか、寂しさを抱えていられるようになれた。

難しく、精神世界で、自分を追い詰めることはないし現実世界を歩き始めた。

 

やっとここまでこれた。

そう思ったら、サングラスの奥で静かに泣いてしまった。

抱えて、休んで休んで、また歩く。

今度は全力疾走しないよ、ゆるゆると。

わたしはわたしのブログが好きで。

少し前のこと。

 

いつも親切な水玉シャツのひとが、わたしの憧れのひとたちを紹介してくれた。

そのときに、「インターネッツの座敷童子みたいな子でー」というニュアンスでわたしを紹介してくれた。

座敷童子はともかく、ネットウォッチは昔から趣味だったので否定出来なかった。

 

ネットウォッチだけでなく、厨二病も拗らせていたのでチャットルームで暴れてイタイ思いをした。

そして自分のホームページのようなものを作っては、にまにましていた。

 

ホームページやブログの類。

何だか取り繕ったり、新しいことをやりすぎたり、欲望が剥き出しになっていた。

書いてるときは、夢中だったからよかった。が、思い返すとブログを自己承認欲求を満たすためのツールだけに見ていて読み返しても空々しく何も面白くなかった。

 

そんな作っては壊して、インターネットの海に漂い消えていく私のブログ。

 

だけど、この日々の食卓から、というブログは不定期更新ながら続いている。

とても間隔はあくが、性懲りもなく更新している。

そして、私は何度となく読み返してる。

 

今の自分が好きかは、まだわからない。

やっと、自分がこれは好きだからやろうとかこれは無理だしやらないとなけなしの勇気を振り絞るくらい。

けれど、いまのブログは好きだ。

 

ここまで、苦しみながら歩いてきた過程。

深い深いところまで、自分のなかに降りていって得た思考の記録が残っている。

 

特に、病気になったからこそ考えてきた数々のこと。

機織りの鶴でもないけれど、我が身から出て来た唯一無二の言葉を綴っている。

ときに、かるくもほっこりもなんでもありとして。

 

そして、自分で満足しているところに会ったひとからは「読んでるよ」と言われること。

 

情報がつらつら載っている、絶対的に誰かの役に立つ。

ヒラクし、本当の自分がわかる。

ライフハックだ、知的生産性だ。

気づきがある。

知見があるし、ためになる。

バズるし、PVもアフィリエイトもすごい。

だから、宣伝も出来ますよ。物も売るしすごいところに呼ばれますよ。

 

私のブログはそういったものでない。

毒にも薬にもならない。

ここには壺もセミナーもないが、啓発もない。

昔は考えたけれど、狙って体系立ててブランディングしていくものもないし、向かないし飽きる。

 

 

けど、私の思考の軌跡かあってそこが誰かの琴線に触れたら幸いだ。

肉料理と野菜料理は別々に調理してしまう。

ポチポチ。

 

腐女子で巨乳で剣道の有段者なかっこいい妹を待ちつつ、メルマガを流し読み。

寿司の食べ放題を彼女の誕生日プレゼントに。

普段我が家に来ても、家でも私も彼女も肉ばかりなので滅多に食べない寿司に浮足立つ。

 

今日、つまり2017/07/24の勝間和代さんのメルマガで「がんばって100g、200円台のお肉を買うようにしてわかったこと」で書かれていた事がとても良かった。

 

それは、肉料理と野菜料理は別々に調理するということだった。

 

最近、なんとなく自然にやっていた。

が、言語化されて改めて別々に調理したほうが調理への障壁がなくなる気がする。

 

「かたまり肉や、十分に肉単体でおいしい肉が多くなるので、適正温度も違いますし

・肉は肉
・野菜は野菜

で調理をする習慣がつき始めました。

そうすると、これまで、いちいち適正温度で調理をしてから戻すより、かえって楽になります」

と勝間さんはメルマガで書いていた。

温度や時間にこだわって、調理家電を使いこなす勝間さんこそ辿り着いた結論だなと思う。

 

我が家は、調理家電は今は無きSANYOのレンジとPanasonicトースターと兼用のミニオーブン以外あまり無い。

 

しかし、少しずつ自然と肉料理と野菜料理は別々に作っていた。

オーブンで鶏のスペアリブを焼きつつ、味噌汁、野菜の煮物かトマト切るだけだったりレンジでブロッコリーや茄子やかぼちゃを蒸している。

この調理だと、台所につきっきりで材料をきったり混ぜた合わせたりをずっとしなくていいから気が楽だ。

シンプルな味付けだから、息子ももりもり食べる。

野菜と肉を一緒に調理しようとすると、火加減だったり組み合わせや冷蔵庫の中身など決定する事が多くて疲れる。

決定する事が多いと、お腹いっぱいになってせっかく作ったのに食べられなくなる。

 

作ったなら、気負わず美味しく全部食べたい。

 

勿論、これはというときは丁寧に作ったり愉しむ。

土井善晴先生の肉じゃが、ポークチャップ、たくさん習ったベターホームのハンバーグだの炊き込みご飯など、小林カツ代先生のレシピとか。

手間だけど、手間が美味しいときもある。

 

シンプルで素材のよさを引き出して調理を切り分けるのも、手間をかけるのも。

ハレの料理もケの料理も、すいすい往復出来たらなぁ。

と、思いつつ自分では作れない料理のひとつ、寿司屋に向かった。

(雲丹、うまー。生だこ、平貝、つぶ貝ミル貝ーー!)


f:id:hibinoshokutaku:20170724195346j:image

 

 

れすかん(レスト管理)のススメ

産前は、疲れるまで活動していた。

倒れたり具合が悪いとか風邪をひいてから少し休憩して、活動しての繰り返し。

疲れて、果ては休めず、苛々して悪循環にいたこともある。

 

疲れ果てていくと、自分の感情を抱えている力がなく少しの刺激に反応して苛々していくのだ。

 

私ほどではないけど、タスクを遂行することありきで休みをとるのを後回しにしたりするのはたまに聞くことだ。

 

そういう手前で、休もう、というのを漠然と考えていたらもっと体系だって考えてるモノづくりに長けたひとがいた。

自然とTwitterなどでつぶやいて、そのひとが名付けていたのがれすかん(レスト管理)。

名前が可愛くてしっくりきたので、コレはと思い採用している。

 

私は、体系だったことは言えない。

が、疲れやすかったり倒れたりした経験から何となく「どこで疲れるから休んでおこう」というのは言える。

 

疲労といっても、まずは肉体的疲労か心理的疲労にわける。 

多くのひとは複合的な要因から疲労が蓄積すると思うが分かりやすく肉体的疲労を。

 

寒い/暑い

気圧、湿度

かゆみ、痛み

空腹か否か

喉の乾き、睡眠の質、便通など。

案外、身につけてる衣服が締め付けていたり季節と合わず疲れることもある。

あとは、五感の中で自分がどの刺激にどう反応しやすいか。

音に敏感な人もいるし、匂いに弱いひともいる。

 

何となく、自分のからだを問診していってみる。

そこから、熱いお茶を飲むとか静かな場所にいくとか、外出をおさえるとか少しずつ対策して検証してまた日常を過ごしていくといいと思う。

過度な民間療法はオススメしないが、自分の中で自分のご機嫌をとったり回復するアイテムや事柄は持っておくと快適だ。

 

心理的疲労は、人間関係が主なのかもしれない。

会社、学校だけでなく家族関係もあるだろう。

私は今泥臭い方式を取っていて、自分の棚卸しているのでコレについては検証中で何とも言えない。

ただ、テンションの上げ下げや波は少なくというのは意識してる。

テンションの高さは、肉体的疲労はおろか心理的疲労も凌駕して竜巻のようにエネルギッシュに色々のみこんでしまう。

なるべく、還る真ん中や中庸は意識してる。

 

そして、手に負えない、本当に限界なら無理しないで専門機関を受診して欲しい。

 

自分のことを見つめすぎるひとも稀にいて、そういうのがかえって疲れると思う。

けれど、程よく、とくに自分の疲れるポイントについて知っていくと先回りして休めるしスムーズに愉しく過ごせると思う。

 

生身の人間のHPは、簡単には増えない。

日々のタスクや出来事で消耗していくこともある。

そんな時、休みを先回りしてとっていくと難しいことに立ち向かえるしハレとケを区別しやすく年中娯楽で知らぬ間に疲れるということも減る。

 

やすむことは、悪でない。

 

と、色々Twitterやマッサージ探偵ジョーを観ながらつらつら考えた。

エンディングのお疲れサンクスを踊ってたら、可笑しくなってきて心地良く疲れた。

 

真剣に中丸雄一くんがツボダンスしながら透明感ある歌声を披露してるので、ぜひ観てほしい。

必要以上に親切にしないプロジェクト

春になる前。

 

クリスマス前後やお正月での、旦那さんの友達への接待やら義実家への気遣いに心身がボロボロになっていった。

 

やっても、あまり感謝はないし、損してるし報われない。

でも良いオクサンはこうしなきゃ

あれも手伝いしなきゃ

もっと頑張らなきゃ

あれ?

 

冬の鬱々した寒さも相まって、拗ねていた。

落ち着かなくて、食べ物を口に詰め込んだりしていた。

とにかく眠かった。

暖かくなって気付いたが、やれという義務でないことはたくさんあった。

直接、頼まれていないようなことばかりしようとしてた。

それなのに、勝手に義務感にだけ駆られていった。

 

寒さが緩んできたとき、心の底から「親切にしない、お節介しない」という思いが出てきた。

そこから少しずつ、「必要以上に親切にしないプロジェクト」を密かに始めた。

 

ひとのことまで背負わない。

少し大変そうな人がいても、察しない。

直接助けの声が聞こえるまでは、放っておく。

困っているひとを、見つけにいかない。

信じて、何もせず見守っている。

誰かにアドバイスは、極力しない。

 

必要以上に親切にしてる、お節介しているとやらされてる感が出てくる。

義務感だ。

自分でやってるハズなのに、自分で選んでない。

自分の気持ちを舵取りしてない感覚。

私だけ、どうして苦労する、になり損してる気分になる。

 

また、必要以上にお節介しないのは相手を信じることにもなると気付いた。

逆に相手ができないと勝手に決めるから、信じられないから、自分から動く。

ひとりでシゴトを引き受けたり、ひとりでやるほうが早いっていうのはこういう心の仕組みなのかと少し驚く。

勝手に動く割に、承認欲求はあるから感謝とか見返りはほしかったのだ。

猜疑心の塊の私が、信じることの一端を掴んだ気がした。

 

結局、ただそこにいる。

が、私は出来なかったから「必要以上」に何かしてしまうのだ。

私にとって、人生はシゴトのような義務感で出来ていた。

だから、何かして対価を得ていないと落ち着かないのだ。

 

 

信じることも何もしないこと(見守るようなこと)も、勇気がいる。

 

自分が親切にしなくても、みんなしっかり過ごしてる。

自分がなにかしなくても、そこにいていいらしい。

何かしたらしたで、損はしなくてやった事実だけ残っていく。行動するからには良し悪しもあるが、感謝とかはおまけだった。

 

冬眠からもがいていったら、そんな世界が待ってた。

またもとに戻ったり、それでもその思い込みが気持ち悪くて足掻いたりもするだろう。

思い込みも、試して、考えて、動くことで取っ払っていける。