ひねくれた村からたのしい村に


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仕事を辞めて、早数カ月。

 

テレビで楚々として豆腐のことを語る松井玲奈ちゃんが可愛くて可愛くて、朝からひとりで家事をしながら小躍りしていた。

画面からはどんどん美味しい豆腐料理が並んで出演者がみんなキラキラしてる。

 

食卓で好きなご飯を食べながら、昨日作った美味しい水出しのフルーツルイボスティーを飲む。

 

この世は、好きなものや綺麗なものがたくさんあっていいなぁ。

素直にそういう気持ちがコップから溢れたように出てきた。

 

そんなに綺麗じゃないことも嫌なことも困ったこともあるけれど、良いものだって確かにそこにちゃんとある。

 

昔の自分なら、ケッとか目まぐるしいくらいの毒舌が出たり何か怒ることを探しているだろう。

 

ひねくれて毒舌なほうが、たくさん理屈を並べたり、そういうのが話しやすいしそんな自分が喜ばれるだろう。

そんな風に思ってた時があった。

 

でもそんなのをしてもひとは離れていくばかりだった。

そういう同じようなことをしている人にも手のひらを返されたこともあった。

 

よくよく考えたら、私は理屈を並べるほど賢くないしそれはそんなに楽しくはない。

ただただ好きなもの、綺麗なものを愛で話すしかできない。

たいがい、好きなアイドルの話やコスメの話や料理の話を延々としている。

 

わざわざ怒るために彷徨うことも、ない。時間が無駄だし、エネルギーが勿体無い。確かに理不尽は多々そこに横たわるが、怒っても仕方ないのだ。

斜に構えるのには、コストが悪い行いなんだなぁと三十路も過ぎてようやく気付く。

 

いまは、ひとの話を聞くのも面白いから練習している。

下手くそだから、一方的に話してしまうこともあるが運が良くて聞くのが上手い人たちに出会うとよりこうなりたいと思う。

 

たまに天の邪鬼がひょこっと顔をのぞかせるときもある。

それでも、もうそういうところからは引っ越ししたんだよ私は。と言い聞かせる。

能天気なんて呼ばれても良いし、もう人生の折り返しくらいには来てるのだし尖ったりひねたりなんて気負わなくていいのだ。

荷物が軽くて周りの景色を愉しめるくらいがゆるゆる降りられる。

 

何よりひねくれなくても、話せるひとはたくさんいる。