ほどほどの不自由がココロの自由

「学校」が苦手だった。
集団で動いたり踊ったり発表したり。
顔が真っ赤になる。
 
ひとに合わせるのが苦手だ。
なので、どこでも「空気」が読めない。
ちぐはぐな行動をして叱られていた。
 
何もかも決まっていて、「学校」は不自由で嫌いだった。
小学校の可愛くないお裁縫箱の柄も。
高校の制服のダサいブラウスも。
 
早く自由になりたかった。
 
大人になると自由になれるし、その方が快適だと信じて疑わなかったあの頃。
 
ところが、いまの生活はどうだろう。
こどもがいると、制約だらけで不自由の連続だ。 
 
水遊びが好きな息子にハグをせがまれると、とたんに泥だらけになる。 
だから、家で洗える服ばかり。

きらきらしたものは何でも触りたいから、少しのアクセサリーしかつけられない。

お酒を飲みたいしこじんまりしたお店に行きたいけれど、そういうお店は大抵子連れお断りだ。

夜遊びが好きだったのに、夜の9時頃にはだんだん眠くなっていくし預けることが難しいのでほとんど行かない。
 
体内時計がしっかりしているのか、朝ごはんは7時でお昼ごはんは11時半、おやつは2時すぎ、夕ごはんは5時すぎ。
それに合わせてお昼寝やお出かけの予定も組み立てていく。
 
そして、息子の行動は突拍子もない。
大抵のこどもはそうだし、親も初心者なので仕方ないが。
予定は1日ひとつかふたつと決めている。
スーパーに行くのでさえ、大騒ぎだ。
 
それなのに、あの頃よりも。
制服を着て、学校に通っていたころより。

もしかして、ワックスで髪をがちがちにかためて慇懃無礼に接客してた頃より。
 
いまの不自由な生活のほうが、ココロが自由だ。 
 
規則正しい生活の合間に、好きなものに囲まれて家事をしていく。
早く寝るし早く起こされるから、体調がいい。
昼寝してくれたり、のんびりしている隙におやつを食べる。
ひとつ、ふたつしか予定を入れないからかえってゆっくり構えていられる。
 
不自由なようで、強制されることが少ないせいか。
それとも、ほどほどの緊張が少ない規則正しい生活で体調がいいせいか。
 
もちろん、怒ったり悲しんだりもするが去年から自分と向き合い続けてモンスターを飼いならして波を少なくしているせいかもしれない。 
自分が変わると、モノや事象は変質しないがかわるものがあると私は信じてる。
 
まだ、この心地よさの理由がつかめないがこの流れに乗っていきたい今日この頃だ。