イマを漕ぐ

晴れた日は、約9キロの子どもをおぶって片道20分ほど自転車を漕ぐ。 
 
おかげで、産前の体重に戻ったし風をきって走るととても気持ちが良い。
今では、漕がないと気持ち悪いくらいまでになっている。 
運動後のプロテインも習慣になっている。
 
思えば、初めて自転車に乗ったのは小学生くらいから。
それから通学などで使っていたが、何故か人を追い抜く運転ばかりしていた。
無茶してかえってスピードが出なかった。
ずっと追い立てられるような、力むような運転をしていたと思う。 
 
ただ、子どもをおぶって漕ぐとそんな力んだ運転はすぐに疲れてしまう。
追い抜かれても、何も変わらない。
比べても、仕方ないし、いま運転に意識していくのが前に進む唯一の方法だ。
 
そう思えたら、力まなくなってきた。
 
そしてもうすこし軽やかに進みたい、と思い漕ぐ姿勢に注目した。
上手いひとはからだの軸やハンドルがあまりブレない。
視線は、私のような焦る近視眼的なものでなく遠くを見ているようだ。
 
漕ぐのが上手い(とあくまで私が感じる)ひとの真似をすると、目から鱗で漕ぐのが楽しいし意識をしっかり自分に向けられる。
 
歩行禅、とは違うが「イマ、ココ」を意識して頭まですっきりする。
考えてみると、自転車を漕ぐのは自分のあしを道具を使って踏み出していくので常に「今、いま、いま」の連続だ。
 
追い抜かれても、いい。
揺らいでぶれても、いい位置に戻っていく。
軽やかに、いまここを漕いでいく。