子鉄とママ鉄とレールと。
息子氏、1歳9ヶ月。
電車にのめり込んでいる。
最寄りの路線の特急列車や通勤電車が好きらしく、ずっと眺めている。
寝かしつけの本は、全て電車。
リアリティを好むのか、交通新聞社という出版社の手のひらサイズの電車のシリーズの本をいつも持ち歩く。
ついには、子供の鉄道マニア雑誌「鉄おも」という雑誌を購入した。
初めて書店で見たとき、興奮してひと呼吸とまってから「やーまのてせん!」と叫んでレジに走っていった。
手に入れてから、毎日読んでくれと指差しされる。
その雑誌に、聞き慣れない単語があった。
「子鉄」「ママ鉄」
どうやら、子供の鉄道好きのことを指すらしい。ママ鉄は、子供と一緒に鉄道にハマっていって好きになるということだそうだ。
何だかどんどんのめり込んで、深淵をのぞいてるようにも思える。
が、仕方ない。
可愛い息子の要求には勝てないのだ。
喜んでる息子をみて、鉄道博物館のミニ電車運転体験の整理券にダッシュしたり息子のためにハンカチを全部電車にしてみたり私も私でなんだか愉しいのだ。
そんなうちの子鉄。
やっぱりおもちゃはプラレールが大好き。
まだ1歳なのか連結は出来ないが、手で押して寝そべりながら動かしている。
読み聞かせは得意だが、とにかく創造してなにかするのが苦手なのでプラレールのレールの組み立てにはいつも苦労している。
鉄道博物館や京王れーるランドには、体験コーナーがあって家にないような複雑なものが置いてあるともうお手上げだ。
家にあるものでも、わからなくなっていってモタモタして怒られる。
レールを敷くのは得意なひとがいるかもしれないが、苦手なひともいる。
そして、息子氏は自分でもレールを敷きたいので二人で大騒ぎしてつなげていく。
やっとのことで、レールが完成してもそこは1歳9ヶ月。
力いっぱい押しては、「だーっせん!ざーーんねん!(脱線、残念)」と叫んでレールをめちゃめちゃにしてまたやり直していく。
そして振り出しにもどって、寝そべりながらご満悦でレールの上で電車を押している。
レールから外れることもあって。
レールから外れないかぎり、壊れそうになるひともいて。
新しく、鉄橋とか踏切もおいてみたりして。
レールも足してみて。
レールを壊してみたりして。
なかには、ずーっとゆっくりレールのうえを静かに走らせるのが好きな子もいて。
世の中には時折、欺瞞的なものがレールが外れることがかっこいいぜと煽り立てることもある。
ただ、色々な景色をみていってゆっくりレールの上を走るのがその人らしさなこともあるという多様性ももっていたいなぁ。
そんなことを、パキパキとプラレールを片付けながら思う。
愛の一次言語と井戸掘りと。
何やかんやで、結婚して5年目くらいにはなる。
老けてみられることが多いが、これでも若い頃結婚したので新婚当初は衝突ばかりだった。
習慣の違いに戸惑い、ここ数年は生育環境や文化圏の違いに悲しんだり悩んだりしていた。
そんな時、ふたりで夫婦に関する本をたくさん読み漁った。
その中で、私の中ではゲーリー・チャップマンの「愛を伝える5つの方法」の『感情的な愛の一次言語』という考え方がたびたび役に立った。
ざっくり紹介すると、「ひとはそれぞれ異なる愛の言語を語り、言語学でいうような一次言語が愛情にもある。それは基本的に5つに分類出来る」というものである。
ちなみにその5つについて筆者は、肯定的な言葉、クオリティタイム、贈り物、サービス行為、身体的タッチとしていた。
その5つの言語をばっちり読み解かなくては、と最初は躍起になっていた。
が、最近自分の中を深堀りしていけばいくほどその枝葉の部分より「愛のカタチや表現は色々あって、感じ方もそれぞれ」と思えてきたら相手の言うことがさほど気にならなくなってきた。
勿論、どうしてと小言が出るときはあるが。
なぜこんな言い方をするのか、とかこういう行動をとっていくのかとか。
若い時分では許せないことが、相手には相手の表現や言語で伝えていると思うと納得がいくことも増えた。
前は、相手に合わせることや相手の言動に反応しすぎたりしていた。
察してくれ!になったり妖怪ワタシカワイソウになったりしていたのかもしれない。
自分の言語表現を自由にするのを禁止すればするほど、相手に苛立ちばかり募らせていた。
いまは自分の感じ方、言語表現を許しているので一次言語はあれど様々な感情を味わっていく。
相手の表現も味わっていくと、反応に対して反応で返さなくなっていく。
これが良い方法かは、まだ結婚生活は長いしわからない。
この方法は、結婚生活以外にも使えるのはなんとなくわかる。
端的に愛情が変容したようにも思うが、すきなことには変わりがないし果てがない。
そういえば、村上春樹が河合隼雄との対談本で結婚のくだりに苦しむために井戸掘りをするなんて書いてた。
確かに、欠落を埋めるものと思ったが穴のカタチやどうして欠落したかを教えてもらっている旅をしているようにも思う。
半ば、息子も巻き込まれているが。
くるしいばかりではないが、井戸掘りは面白い。