きっと君は大丈夫。

私には知的障害を持つ弟がいる。

 

彼の障害の程度は重度で、身の回りは少し出来るかなというかんじ。

成人したいまだって、もうすぐ4歳の息子氏とはどっこいどっこい。

 

小さい頃、若い頃はたくさん背負っていて何とかしてあげなきゃと思ってた。

弟の療育施設に一緒にいったり、弟の学校でボランティアしてみたり。

きょうだい児特有、イイコで頑張ってた。

 

その頃の弟は、おとなしくておとなしくて他傷(他人を傷つけること)がひどい同級生ばかりに狙われてた。

特注のメガネは何度も壊れた。

家の中で、私も妹も荒れていても静かに本をずっとパラパラめくっていた。

なにかに、耐えていたように思えた。

 

が、卒業して就職して成人して。どんどん成長していっていった。

そして、いやだーやめろーなんだよーくらいは言えるようになっている。

成人して、晩酌も楽しんでいる。

帰省したとき、小さい小さいコップにちびちびビールを注いでもらってうちのひととちびちび美味そうに飲んでいた。

ちょっと遅れた反抗期で母に口や態度で抗っているのは、少し小気味いい。

 

そんな弟に、施設に入る話が出てきた。

早く預けたりする家族が多い中、弟は今までずっと働きつつ家にいた。

病院に人生の殆どの時間を過ごすようなひとをみてきた私としては、弟は家族が頑張りすぎるくらい支えてきたように思えた。

 

電話口の母は、半ばほぼ決めてるけど罪悪感があって背中を押してほしいような声色だった。

もう頑張ったし、誰も何も言わないし言わせないし、あの子なりにやっていける。

私は、言い切った。

 

きっと将来、遠い故郷に様子を見にいかないといけないかもしれない。

でも、障害者のきょうだい児として色々考えすぎて縛られたころより何故か気楽だ。

 

きっと、あの子なら大丈夫。

何がフツウかわからないけど、ふつうの大人ならとっくに一人暮らししてる年だし。

 

病院で殆ど暮らすひとも、何種類かいて。

諦め、甘え、過去の記憶にしがみつく、悲しむ、面白がる、楽しむ…。

家族を感じるけど、そこで覚悟しつつ面白がって生活していくひともいた。

 

生きてると何通りも選択があって、どんどん狭まるけれど正解はわからない。

けれど、これで良かったと思えることはできる。

 

いやだよーとニヤっとしながら言う横顔を思い出した。きっと、君なら大丈夫。