同じものしか見えなくなったら、声の大きいひとと鋭いひとを外す
少し前、Twitterで見かけたのだが。
声の大きい、フォロワーの大きいひとをミュートしたりTLから外すという取組。
それに私は、毒舌な言葉が鋭いひとも外すが。
真似してやってみると、知らない世界が見える。
映えるメシではなく、美しいご飯を作る人。
時短簡単ワードに圧されない、日々背中を押すやり過ごし方を広めるひと。
聞いたことない映画や小説を教えてくれる人。
きわどい二次絵に面白い小説。
ひたすら推しを語る、主婦。
子育てを考える父親。
メイク用品をひたすらすすめたり、レビューしているひと。
病気について、広く繋がろうとするひと。
いつも見ていたWEBページもライターもそこには殆どいない。
コミュニティの外に出ると、案外世界は広くて。
皆色々なものに夢中だったり、それぞれの生活をただ生きてるヒトなんだなぁと感じられる。
喜怒哀楽入り交じるその生活がただ愛おしい。
毒舌や鋭いものを避けるのは、引きずられるから。
自分の欲求を気付かないふりして無視して、なにかを批判してる自分がいるときは不甲斐ない。
批評と批判は少し違うし、やんわりさくっと伝えられるようになるまでそういうものとは離れるつもりだ。
生活を愉しむことを忘れた私はまた、少し長い休みに入る事に決めた。
こんなに愉しんだり色々な生き方があるのだから、もう少し歩みを緩めていこう。