ここから歩き始める。

あんなに、外に出かけていたのに。

あんなに、内側にこもっていたのに。

 

新婚の頃は、寂しくて心細くて、でも知り合いはあまりいなくて。

暗い、寒いアパートの電気カーペットの上でぼんやりしていた。

どうしようもなくて、ごはんに海苔を巻いて沢山食べていた。 

なにか、これだと寂しいしいけないと思った。

旦那さんの職場近くのスポーツセンターでピラティスをして、終わったら講義が終わった旦那さんと学食を食べてた。

チキンソテー定食が私の定番。

そこそこお金があるときは、ふたりで手を繋いで、新大久保に。

まだ韓国料理がもてはやされていて、どこも活気があって美味しかった。

駅前のロシア料理もたまに行ってて、そこのつぼ焼きはどこより美味しくて温かくて気に入ってた。

 

仕事が決まって。

パート前に駆け足で、蕎麦を啜ることもあった。

あとは、アイコかアメリカンのホット。お金があるときは、昔ながらのかたいプリン。

それが私の定番で、たまにシチュー定食に半熟玉子落としたものをお店のひとが覚えててくれたこともあった。 

たまに、地下の牡蠣屋で牡蠣を啜った。

たまに、まかないのような形で珍しい魚ばかり食べて舌と目ばかり肥える。

旦那さんと生活時間がすれ違っていくから、少し寂しくて近所のバルでひとり飲み。

何でも美味しいお店で、アスティのスプマンテとかサングリア片手に旦那さんの帰りを待ってた。

 

そのうち、色々な人と知り合ってそれはそれは美味しいものばかり食べたし飲んだくれた。

色々な話をしたし、色々トウキョウというものの華やかさを教わった。

不思議な雰囲気の居酒屋やトルコ料理のお店。案外サラダが美味しいビアバーにカレーが上手い(あえて上手いなの)ビアバー。

とろけそうな焼肉に初めてパクチーを食べることが出来たタイ料理。

色々な人が誘ってくれたり、人数合わせになったり、自分から赴いたり。

他にもたくさんたくさんあったはず。

 

それでも、寂しさは消えない。

 

その合間に、渋谷の坂をせっせとのぼり日本酒にのめり込んでいく。

たまに、学生時代から知っていたオーセンティックなバーに行ってとろけたり冷や汗かいたりしたり。

福岡県出身の美しいバーテンダーの作る、季節のフルーツカクテルとダージリンクーラーがお気に入りだった。

 

住むところも仕事も変えていって。

美味しいドイツパンに蕎麦につけ麺。池波正太郎が好きだったらしい洋食。

仕事しながら、美味しいものをほうばっていく。

住みながら、驚くほどお値打ちな天ぷら屋や美味しい珈琲、面白い食べ方をさせる焼き鳥屋にもいった。

 

ときに、誰かと。ときに旦那さんと。

 

味わいつくして、妊娠した。

妊娠中は、色々気にしたわりにはお肉ばかりせっせと食べていた。

塊のお肉を妹と炙って分けたり、ジンギスカン食べたり、シュラスコかぶりつく。

家でも塊のお肉に塩をすりすり、焼いたり茹でたり漬けたり。

 

そして少しずつ、また心細くて寂しくなっていった。

 

その後、息子が出てきた。

言葉が通じないしコントロール不能の生き物とべったり2年間。

預かってくれるのは旦那さんくらいなので、ほぼ一緒。

行くところも限られる。

 

とはいえ、近所の肉屋さんのつくねをほうばり評判のドイツパンにかぶりつく息子と色々なところにも行ってきた。

雨の中、電車を見て。風の強い日に井の頭線で公園まで向かっておにぎりをひろげる。

 

ふと、家族の横顔をみる。

精神世界に生きてきて、苦しかったなぁ。

自分を題材にして苦しい難しいことを考えるのって、疲れる。

それで、イマを楽しめなかったのか。

 

いまは、家でお肉を焼いて食べたり外食ではさっと食べてしまう。

珈琲もアルコールもあまり摂取出来なくなった代わりに、運動するときに必要な栄養は取り始めた。

あとは、ママ友と集まるくらい。

ご馳走も、飲食店もはるか向こう。

 

それでも、家でさっとご飯を何品か作れる体力も気力もテクニックもついてきた。

楽しくしてると、家族も自然と食べてくれる。

でも、たまの外食も好き。江の島を眺めながらのランチも、近所のがさつな蕎麦屋も。

 

作ること、食べることが憑き物が落ちたように何周もまわって手元にきた。

そして、私の長い長い歩みも、もう健全な方向に向いている。

 

息子が入園してからようやく気付く。

小さい頃、ひとり遊びは好きだったけど家には誰かしらいた。

疲れると一人になりたいけど、家族がいたし過度なくらい寂しいと活動してきた。

 

いまは、ようやく「ひとり」を抱えていられるようになった。

村上春樹河合隼雄のいうところの、「井戸掘り」をしていった結果かもしれない。

漠然とした不安とか、寂しさを抱えていられるようになれた。

難しく、精神世界で、自分を追い詰めることはないし現実世界を歩き始めた。

 

やっとここまでこれた。

そう思ったら、サングラスの奥で静かに泣いてしまった。

抱えて、休んで休んで、また歩く。

今度は全力疾走しないよ、ゆるゆると。