わたしはわたしのブログが好きで。

少し前のこと。

 

いつも親切な水玉シャツのひとが、わたしの憧れのひとたちを紹介してくれた。

そのときに、「インターネッツの座敷童子みたいな子でー」というニュアンスでわたしを紹介してくれた。

座敷童子はともかく、ネットウォッチは昔から趣味だったので否定出来なかった。

 

ネットウォッチだけでなく、厨二病も拗らせていたのでチャットルームで暴れてイタイ思いをした。

そして自分のホームページのようなものを作っては、にまにましていた。

 

ホームページやブログの類。

何だか取り繕ったり、新しいことをやりすぎたり、欲望が剥き出しになっていた。

書いてるときは、夢中だったからよかった。が、思い返すとブログを自己承認欲求を満たすためのツールだけに見ていて読み返しても空々しく何も面白くなかった。

 

そんな作っては壊して、インターネットの海に漂い消えていく私のブログ。

 

だけど、この日々の食卓から、というブログは不定期更新ながら続いている。

とても間隔はあくが、性懲りもなく更新している。

そして、私は何度となく読み返してる。

 

今の自分が好きかは、まだわからない。

やっと、自分がこれは好きだからやろうとかこれは無理だしやらないとなけなしの勇気を振り絞るくらい。

けれど、いまのブログは好きだ。

 

ここまで、苦しみながら歩いてきた過程。

深い深いところまで、自分のなかに降りていって得た思考の記録が残っている。

 

特に、病気になったからこそ考えてきた数々のこと。

機織りの鶴でもないけれど、我が身から出て来た唯一無二の言葉を綴っている。

ときに、かるくもほっこりもなんでもありとして。

 

そして、自分で満足しているところに会ったひとからは「読んでるよ」と言われること。

 

情報がつらつら載っている、絶対的に誰かの役に立つ。

ヒラクし、本当の自分がわかる。

ライフハックだ、知的生産性だ。

気づきがある。

知見があるし、ためになる。

バズるし、PVもアフィリエイトもすごい。

だから、宣伝も出来ますよ。物も売るしすごいところに呼ばれますよ。

 

私のブログはそういったものでない。

毒にも薬にもならない。

ここには壺もセミナーもないが、啓発もない。

昔は考えたけれど、狙って体系立ててブランディングしていくものもないし、向かないし飽きる。

 

 

けど、私の思考の軌跡かあってそこが誰かの琴線に触れたら幸いだ。