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必要以上に親切にしないプロジェクト

春になる前。

 

クリスマス前後やお正月での、旦那さんの友達への接待やら義実家への気遣いに心身がボロボロになっていった。

 

やっても、あまり感謝はないし、損してるし報われない。

でも良いオクサンはこうしなきゃ

あれも手伝いしなきゃ

もっと頑張らなきゃ

あれ?

 

冬の鬱々した寒さも相まって、拗ねていた。

落ち着かなくて、食べ物を口に詰め込んだりしていた。

とにかく眠かった。

暖かくなって気付いたが、やれという義務でないことはたくさんあった。

直接、頼まれていないようなことばかりしようとしてた。

それなのに、勝手に義務感にだけ駆られていった。

 

寒さが緩んできたとき、心の底から「親切にしない、お節介しない」という思いが出てきた。

そこから少しずつ、「必要以上に親切にしないプロジェクト」を密かに始めた。

 

ひとのことまで背負わない。

少し大変そうな人がいても、察しない。

直接助けの声が聞こえるまでは、放っておく。

困っているひとを、見つけにいかない。

信じて、何もせず見守っている。

誰かにアドバイスは、極力しない。

 

必要以上に親切にしてる、お節介しているとやらされてる感が出てくる。

義務感だ。

自分でやってるハズなのに、自分で選んでない。

自分の気持ちを舵取りしてない感覚。

私だけ、どうして苦労する、になり損してる気分になる。

 

また、必要以上にお節介しないのは相手を信じることにもなると気付いた。

逆に相手ができないと勝手に決めるから、信じられないから、自分から動く。

ひとりでシゴトを引き受けたり、ひとりでやるほうが早いっていうのはこういう心の仕組みなのかと少し驚く。

勝手に動く割に、承認欲求はあるから感謝とか見返りはほしかったのだ。

猜疑心の塊の私が、信じることの一端を掴んだ気がした。

 

結局、ただそこにいる。

が、私は出来なかったから「必要以上」に何かしてしまうのだ。

私にとって、人生はシゴトのような義務感で出来ていた。

だから、何かして対価を得ていないと落ち着かないのだ。

 

 

信じることも何もしないこと(見守るようなこと)も、勇気がいる。

 

自分が親切にしなくても、みんなしっかり過ごしてる。

自分がなにかしなくても、そこにいていいらしい。

何かしたらしたで、損はしなくてやった事実だけ残っていく。行動するからには良し悪しもあるが、感謝とかはおまけだった。

 

冬眠からもがいていったら、そんな世界が待ってた。

またもとに戻ったり、それでもその思い込みが気持ち悪くて足掻いたりもするだろう。

思い込みも、試して、考えて、動くことで取っ払っていける。