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いるだけで、極端な話、息をしているだけで幸せを振りまいているかもしれない。

子ども エッセイ
息子氏(こどものことだ)のお誕生日とクリスマスは微妙に近い。

少し離れて暮らす義両親の家でお誕生日会をすることになり。
お誕生日には、これまた少し離れて暮らす息子氏のひいおばあちゃんまで参加した。
 
普段行かないような街に一緒に行き、デパートでドイツ製の木の車の玩具を息子氏は買ってもらっていた。
 
もっと離れて暮らす私の両親は、冬用のコートを選んで贈ってくれた。
私の祖母、もう一人のひいおばあちゃんもぜひにとお祝いをくれた。
 
モノを贈るだけでなく、写真や動画や本人の動く振る舞いに彼等はいちいち喜んでくれる。
 
本人は、少し分かっていてにこにこいい顔をするし分かっていない部分もありいたずらに夢中だ。
 
もう、何というか子どもひとりに大人たちが吸い込まれめろめろなのだ。
子どもひとりに、それだけのエネルギーがあるのと好かれるのを子供を産み落としてから初めて知った。
 
育てているこちらは日々大変なのだが、それでも両家の人たちが息子を介して幸せなのはいいことだ。
息子はいるだけで、極端な話、息をするだけで幸せを振りまいていてすごい。

そして、思う。

本来、ひとってそうかもしれない。
いるだけで、極端な話、息をしているだけでも幸せを振りまいている。
意味付けしたり、色々悩んでいくから、苦しくなったり自分を探しに行くのかもしれない。

じつは、在るとはシンプルなことかも。
息子に教わるクリスマス・イブの夜。