小骨が喉に刺さるような日が続いたら。

こどものころ。
 
食卓に、焼いたニシンが並ぶと苦々しい思いで睨みつけていた。
骨が多くて、脂っぽいニシン。
 
味は好きだけれど、箸が使い慣れない時期どうしていいか分からなかった。
 
だって、食べていると何だか小骨が喉に刺さっている気がするのだ。
いやいや、食べていくと案の定喉がじくじく気になっていく。
そんな時、焦って水をのんだりつばを飲み込んだりしてかえって気持ち悪くなっていた。
 
イワシも、ししゃもも、アジも味はいいけど何だか小骨がきになる。
 
喉に小骨が刺さるようなかんじ。
そんな、微細で微妙な痛みや違和感。 
 
それは、日常にもある気がする。
 
先送りにしているタスクたち。
自分の奥にある欲求、欲望。
向き合うのをためらう、ちいさな自分。
痛くない、深くかわさない会話。
  
必死に生きて日常とルーティンを重ねていくには、そういう過程も勿論必要だ。
 
そういう毎日を重ねて、悶々とするからこそみえていくものがある。
うんと若い頃は、特効薬ばかり探して刺激にさらされ却って混乱していた。
 
ただ、小骨が喉にいつまでもいるような小さな違和感は緩やかに自分を蝕んでいく。
 
少しでも快適に、軽やかにいくなら。
向き合って淡々と行く中にみえるものもある。
その中で、少し傷んでも日々の積み重ねが味方になる日もある。
 
そうしたらまた、きれいな喉で話したり唄えるのかもしれない。