「ちゃんとしてるひと」より愉しいひとがいい

ずっと、長い間。
 
「ちゃんと」しなくてはいけないと思っていた。
いまのダメな自分から、変わらなくてはいけないと思っていた。
 
ところが、息子が生まれてから余計に不完全なところばかり目立つ。
怒るし泣くし、大声で叱るし、家事は中途半端でちっとも「ちゃんと」なんて出来ていない。

大人になったのに、子供の頃のちゃんと出来なくて叱られている自分がひょっこり顔をのぞかせている。
 
今朝も、ちゃんと出来ないことにメソメソしていた。
三十路手前の、子持ちの女があさから。
 
すると、旦那さんから衝撃の一言が投げられていく。
 
「さっき、テレビで観たよね?

変化しなくていい、手を加えて行くから番組がおかしくなる
しわしわの落語家さんが言ってたよ。
 
変化しなくていい、自然と変化していくから
 
出来なくていい、だって出来ないから
 
ちゃんとしなくて、困らない
困ったら、やればいい
頑張るから、頑張れない
 
ただ息子と仲良くして、テレビみて嵐!と喜んでいればいい。
 
愉しんで笑っていたらいい。
だって、ちゃんとなんて出来ないから。」
 
彼は、繰り返し、出来ないから、と言っていた。

あまりに、出来ないと開き直れない意固地な自分を晒されて驚嘆した。
「ちゃんと」という曖昧な言葉に縛られ続けている事にも吃驚した。
 
第一、ちゃんとって誰のためでどんなモノであるのか。
 
「ちゃんと」出来なかったけれど、いちおう生きられている。
しっかり、今日のきょうまで生きている。
 
そう思うと、「ちゃんとしてるひと」より愉しいひとがいいなと思った。
三十路手前、まだ人生は長いから、愉しいひとでいたくなった。