備忘録的:約2歳児くらいまで役立ったモノ
おかげさまで、あと1ヶ月くらいで息子氏2歳。
夫婦をこえていけ?
旦那さんと出会って8年目、付き合って6年目に突入したらしい。
私は、日々に忙殺されていて失念していた。が、律儀な旦那さんはGoogleカレンダーを見て「記念日!記念日!」と言っていた。
彼は、「一緒」になにかするのが好きなので美味しい中華を食べることにした。
私は、五目汁そば。
彼は、その店の名物の酸辣湯麺。
五目汁そばは、これでもかと野菜も海鮮もぎちぎちつまっている。
ここの名物酸辣湯麺は、干し椎茸の出汁がきいていて、きのこや卵がどっさりはいってる。干した豆腐が糸状になっている豆腐干糸がアクセントになっている。
二人で、ふうふう言いながら食べる。
話すことは、保育園に行ってる息子のこと。
プレスクールにいれるか、保育園にいれるか。
幼稚園の受験はどうするか、とか。
この前見に行った電車の話とか。
一緒にいる期間が長くなっていって、家族の構成員も変わっていって話す内容も変容していく。
「これは、滋味深い味だね」
「滋味深い」
二人の好きなエッセイに、滋味深い味という話がある。
なにか美味しいものに出会うと、滋味深いと言い合う不思議なやり取り。
そういうくだらないやり取りとか、旦那さんを「せんせい」といってしまうことや変な言葉遊びは変わらず。
付き合って6年目。
私の中で、すごく好きで好きでは落ち着いてきた。
けれど、甘えのようなものも出ていて文句を言ったり遠ざけてみたり。
と思えば、やはりこの人でないとというのもあったり。
不思議な心持ちだ。
最近、お風呂で流す星野源の曲の歌詞にどきりとした。
「夫婦をこえていけ」
夫婦を超えるってどんな感じなんだろう。
夫婦を超えたらどうなるのか。
この不思議な心持ち、どうなっていくのか。
軽やかな歌声と裸でダンスする息子をみて、ぼんやり考えた6年目。
応援したいしブログが好きだからブロガーズフェスティバル2016に行く
昔から、誰か応援するのが好きだ。
中学生のとき、成り行きで応援団に入った。
最初は、嫌々変に足が出るスコートとダサいTシャツを着て応援してた。
そのうち、声が出るからと人前に出されて見栄えするからと団服を着ていた。
声を出して、応援するのは気持ち良かった。
よく競技のルールはわからないけれど、何故か誰か応援するという行為は好きだった。
今でも、誰かや何かの応援やどこが好きでどこが良いんだと切々と語ってしまう。
その熱量で、相手を驚かせてしまうときがある。
割りと、好きというテンションが高く興奮する沸点が低いのだと思う。
そんな私。
そんな私が中学生くらいから好きなのがインターネットで、大学生くらいからとにかくブロガーが好きだ。
文章読むのが好きなのもあるが、多様なひとがいるとわかるのが面白いのかもしれない。
特に、思考を綴るものと研究者やプログラマが書くような毎日淡々と記録するウェブログ。
それ以外にもデザインがきれいだったりしても、琴線に触れても、読み続ける。
ブロガーズフェスティバルには、主催者の人徳か多彩なブロガーが集まるし好きなひとが出てくるから毎年行ってる。
今年は、ホシナカズキさんや小鳥ピヨピヨのいちるさんが出ていてひとりで大興奮していた。
応援の声は出せないけど、Tweetとか話しかけたりして目一杯応援してる心持ちになる。
どの講演も、LTも面白くて濃くて私のいまの日常とかけ離れててわくわくした。
あと、ブロガー歴が長い人と今勢いがあるひとが一緒の空間にいてそれを聴けるのは特に贅沢だと思った。
こちらからコンタクトしなければ、知り得ない知見がそこにあった。
ただ、どの講演もカタチや言葉を変えて言っていたものがあったように感じた。
・量より質
・PVより影響力
・Googleは、一貫して質の良いコンテンツをといっている。では質の良いとは?
・ある程度バズるためには、SNSでもブログでもブログデザインにせよ思考、実験、検証の繰り返し
・怒りは伝播していく、それは昔よりあってみんな敏感になっている
・PVやPRの前に、自らが楽しむ
いちるさんの、ブログの最大の効用は「自分を深く知ることができる」というのは、最近ブログで思考の振り返りとか成長がわかるなぁと思ってたのでとても響いた。
特に、今回LTがどれもレベルが高かった。
ただ、論理や感情で迫ってくる巧みなものがあるのに対し、聞いてるこちらが笑いが止まらなくて楽しくなっていって引き込まれるものが選ばれていったのが私には印象的だった。
それは、結局のところブログはブログを手段としているより楽しみに突き動かされて書いてるものがヒトを引きつけるというこれからのブログ感を教えてくれてる気がした。
来年はどんなふうになるのだろう。
ブロガーも、流行がある。
いちるさんやホシナさんともお話したが、伝えるプラットフォームが増えてる中で敢えてブログを選ぶことの意味や良さだったり。
そういうことを考えていく愉しみをお土産にもらった。
子鉄とママ鉄とレールと。
息子氏、1歳9ヶ月。
電車にのめり込んでいる。
最寄りの路線の特急列車や通勤電車が好きらしく、ずっと眺めている。
寝かしつけの本は、全て電車。
リアリティを好むのか、交通新聞社という出版社の手のひらサイズの電車のシリーズの本をいつも持ち歩く。
ついには、子供の鉄道マニア雑誌「鉄おも」という雑誌を購入した。
初めて書店で見たとき、興奮してひと呼吸とまってから「やーまのてせん!」と叫んでレジに走っていった。
手に入れてから、毎日読んでくれと指差しされる。
その雑誌に、聞き慣れない単語があった。
「子鉄」「ママ鉄」
どうやら、子供の鉄道好きのことを指すらしい。ママ鉄は、子供と一緒に鉄道にハマっていって好きになるということだそうだ。
何だかどんどんのめり込んで、深淵をのぞいてるようにも思える。
が、仕方ない。
可愛い息子の要求には勝てないのだ。
喜んでる息子をみて、鉄道博物館のミニ電車運転体験の整理券にダッシュしたり息子のためにハンカチを全部電車にしてみたり私も私でなんだか愉しいのだ。
そんなうちの子鉄。
やっぱりおもちゃはプラレールが大好き。
まだ1歳なのか連結は出来ないが、手で押して寝そべりながら動かしている。
読み聞かせは得意だが、とにかく創造してなにかするのが苦手なのでプラレールのレールの組み立てにはいつも苦労している。
鉄道博物館や京王れーるランドには、体験コーナーがあって家にないような複雑なものが置いてあるともうお手上げだ。
家にあるものでも、わからなくなっていってモタモタして怒られる。
レールを敷くのは得意なひとがいるかもしれないが、苦手なひともいる。
そして、息子氏は自分でもレールを敷きたいので二人で大騒ぎしてつなげていく。
やっとのことで、レールが完成してもそこは1歳9ヶ月。
力いっぱい押しては、「だーっせん!ざーーんねん!(脱線、残念)」と叫んでレールをめちゃめちゃにしてまたやり直していく。
そして振り出しにもどって、寝そべりながらご満悦でレールの上で電車を押している。
レールから外れることもあって。
レールから外れないかぎり、壊れそうになるひともいて。
新しく、鉄橋とか踏切もおいてみたりして。
レールも足してみて。
レールを壊してみたりして。
なかには、ずーっとゆっくりレールのうえを静かに走らせるのが好きな子もいて。
世の中には時折、欺瞞的なものがレールが外れることがかっこいいぜと煽り立てることもある。
ただ、色々な景色をみていってゆっくりレールの上を走るのがその人らしさなこともあるという多様性ももっていたいなぁ。
そんなことを、パキパキとプラレールを片付けながら思う。
愛の一次言語と井戸掘りと。
何やかんやで、結婚して5年目くらいにはなる。
老けてみられることが多いが、これでも若い頃結婚したので新婚当初は衝突ばかりだった。
習慣の違いに戸惑い、ここ数年は生育環境や文化圏の違いに悲しんだり悩んだりしていた。
そんな時、ふたりで夫婦に関する本をたくさん読み漁った。
その中で、私の中ではゲーリー・チャップマンの「愛を伝える5つの方法」の『感情的な愛の一次言語』という考え方がたびたび役に立った。
ざっくり紹介すると、「ひとはそれぞれ異なる愛の言語を語り、言語学でいうような一次言語が愛情にもある。それは基本的に5つに分類出来る」というものである。
ちなみにその5つについて筆者は、肯定的な言葉、クオリティタイム、贈り物、サービス行為、身体的タッチとしていた。
その5つの言語をばっちり読み解かなくては、と最初は躍起になっていた。
が、最近自分の中を深堀りしていけばいくほどその枝葉の部分より「愛のカタチや表現は色々あって、感じ方もそれぞれ」と思えてきたら相手の言うことがさほど気にならなくなってきた。
勿論、どうしてと小言が出るときはあるが。
なぜこんな言い方をするのか、とかこういう行動をとっていくのかとか。
若い時分では許せないことが、相手には相手の表現や言語で伝えていると思うと納得がいくことも増えた。
前は、相手に合わせることや相手の言動に反応しすぎたりしていた。
察してくれ!になったり妖怪ワタシカワイソウになったりしていたのかもしれない。
自分の言語表現を自由にするのを禁止すればするほど、相手に苛立ちばかり募らせていた。
いまは自分の感じ方、言語表現を許しているので一次言語はあれど様々な感情を味わっていく。
相手の表現も味わっていくと、反応に対して反応で返さなくなっていく。
これが良い方法かは、まだ結婚生活は長いしわからない。
この方法は、結婚生活以外にも使えるのはなんとなくわかる。
端的に愛情が変容したようにも思うが、すきなことには変わりがないし果てがない。
そういえば、村上春樹が河合隼雄との対談本で結婚のくだりに苦しむために井戸掘りをするなんて書いてた。
確かに、欠落を埋めるものと思ったが穴のカタチやどうして欠落したかを教えてもらっている旅をしているようにも思う。
半ば、息子も巻き込まれているが。
くるしいばかりではないが、井戸掘りは面白い。